モンスターペアレントを生み出した時代背景

モンスター 世の中って!?エッセー
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昨今、テレビでよく取り上げられるモンスターペアレント。
いかにも酷い両親が世をはびこっていると言わんばかりに特集される事もあるが、そこに疑問を覚えてしまうのは僕だけだろうか?

問題になっているとされる父兄はだいたい30代~40代。
僕と同じ世代だ。
ゆとり教育とは遠くかけはなれた世代の人間である。

かつて、僕たちは親からよく「先生の言う事をよく聞きなさい」と言われていた。
しかし、学校の先生はろくでもない先生ばかりだった。
まさに尾崎豊がその世代の想いを代弁してくれていたと思う。
尾崎豊の曲を聴いていただけると、別世代の人間でもその思いを少しはわかってくれるかもしれない。

中学時代のある日、体調不良で体育の授業を休んだ日があった。
当時野球部だったのだが、クラブ活動は見学で参加することにした。
するとクラブが終わった後、顧問の先生に何発も平手打ちをくらった。
僕の記憶では確か理由は「体調不良で体育の授業を休むのであればクラブも休むべき」か「クラブに参加するのであれば体育の授業も参加すべき」かどちらかだったと思う。
どちらにせよ体調不良の生徒に何発も平手打ちするなんて考えられない事である。
しかも口調も上から目線で高圧的に言われた。

気が弱く、引っ込み思案だった僕の心の中にほんのかすかな殺意を覚えた瞬間だった。
家に帰っても相談できる相手なんかいなかった。
親に話してもどうせ同じく上から目線で高圧的に諭されるだけだろうと思っていた。
信じられる大人なんていなかった。

こういった事例はほんの一部にすぎず、先生にヘッドロックされる事もあれば、もみあげを強く引っ張られたりすることもあった。

高校に入ってから僕は親の言う事も先生の言う事もいっさい聞かなくなってしまった。
たばこが見つかり2回も停学になり、あと1回で退学というところまで追い込まれた。
高校三年の時には遅刻やサボりがひどくなり、留年する事となった。
このまま中退しようか悩んでいたところ、当時高校に行かず働いていた不良少年の弟に「せっかく学校に行けるんやから、もったいないやん」と言われた事がきっかけとなり、もう一年頑張る事となった。

大人になった今、当時のやるせない思いは復讐心となってあらわれてしまう事がある。
タイムスリップして、当時の親や先生に、今の発言力をもってねじ伏せ、当時の自分を守ってやりたいと思ってしまう自分がいる。
しかし、それは不可能な事。

やがてその思いは別の形となって現れる。
観光地などで修学旅行に来ている学校の先生を見ると「何か因縁をつけてつっかかってやろうか」と思ってしまう自分がいる。
どこかのグラウンドでどこかの学校の野球部の先生が生徒を指導している姿を見て、どこからか、かすかな遠い記憶がよみがえってしまい、無性に腹立たしくなり、つい関係のないその先生を睨みつけてしまっている自分がいる。

モンスターペアレントとして問題となっている人たち、まさしくあれは自分なのであろう。
幸い今はまだ結婚もしていないし、子供もいないので問題に直面する事もない。

ただ、決してモンスターペアレントを正当化しているわけではない。
僕が結婚して子供ができたとしても、理性をもって対応すべきだと思っている。
しかし、そういった人たちには単に非常識な人間として見るのではなく、そうなるべき背景があり、理由があるという事をわかってほしい。
ヘッドロックをしていた先生も、平手打ちをした先生も、暴力親父も、そうせざるを得ない時代背景があったのかもしれない。

やがて、時代は変わってゆき「ゆとり教育」が始まり、そうこうしているうちに「脱ゆとり教育」が始まり・・・。
日本の教育はどんどん見直されていく。
第二のモンスターペアレントを生み出さないためにも、単に学問のためだけとしてとらえるのではなく、未来の姿を見据えた教育改革を行ってほしいと思う次第である。

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