以前、事務系の仕事をしていた時の同僚でお花の先生をしているという男性がいた。
年は40才ぐらいらしいのだが、とてもそのようには見えない若々しい美形顔で、きっと若い頃はブイブイいわしていたんだろうなと思わせるような人であった。
ある日名刺をもらったのだが、そこにはフラワーアトリエ○○○と書かれていたので「何か他に仕事しているんですか?」と聞いてみると「そうなの。本業でお花の先生をしているの。」とまるで女の子のような口調で話していた。
芸術家は変わった人が多いとよく聞くけど、本当にいるものなのだと一人で納得していた。
その時はまさかゲイとかホモじゃないだろうと思っていた。
とある日、その人と話していると、テレビゲームの話で盛り上がり、僕のアパートにゲームがあるので今度一緒にやろうという事になった。
当然ゲームをするのであれば人数が多いほうが楽しいので「他の人も誘いましょう。○○君も誘っていいですか?」と彼に言うと「他の人はいいんじゃない?」と少し難しそうな顔をしていた。
人見知りする人なのかな?と思い二人で遊ぶ事にした。
すごろくゲームのようなソフトでけっこう時間のかかるものだったので、その日は泊まりでとことんやろうと話していた。
やっぱりこの年になっても子供心に帰って遊ぶという事はとてもいい事だ。
当時は4畳一間のせまいアパートに暮らしていたので、とても快適な空間とは言えないが、それでも二人はゲームに夢中になり4時間ぐらい我を忘れて遊んでいた。
そろそろ寝ようという事になり、布団は一つしかないが、掛け布団と敷布団を広く敷いてザコ寝しようと言って、布団を用意していると、なんと彼は「一緒の布団で寝ようよ」と言ってきたのである。
やっぱりこの人そっち(ゲイ)だったのか!!
その瞬間、僕の中で少し恐怖心のようなものを覚えた。
「それはちょっと・・」などと濁していると「え?合宿とかで一緒に寝たりしなかった?」と少しごまかす様な口調で言ってきた。
合宿で男同士が一緒に寝るなんて聞いた事がない。どんな合宿だよ。
もしくはそっちの合宿だったのだろうか・・・
どうしよう、帰ってもらおうか。
しかしもうすでに時間は夜中の1時、当然終電もない。
この時間に帰すのはあまりにも残酷だ。
それなら僕が外に出て朝まで時間をつぶそうか。
でも明日も仕事だし体がきつい。
あぁ・・このまま襲われて僕はそっちの世界に行ってしまうのだろうか・・・。
絶体絶命のピンチに僕は不安の渦に巻き込まれていた。
なんとか布団を広く敷いてはなれて寝てもらおうとしたのだが、やはりその人は異様なほどの近い距離で横になる。
僕はなんとか防御しようとうつ伏せになっていた。
いざとなれば戦う心の準備はできていた。
人に怒ることができない僕は、もし何かあれば「こういう時こそ怒って抵抗しなきゃダメなんだ」と自分に言い聞かせていた。
僕は寝たふりをしていたのだが、彼は時々話しかけてきては、さりげなくお尻にタッチしたりして、スキンシップをはかろうとしていた。
それでも僕はいかにも眠たそうな声で「う~~ん、そう~です~ね~」などと演技をしながら相槌をうっていた。
ようやくあきらめてくれたのか、彼の寝息が聞こえてきた。
僕は安堵感でいっぱいになった。
そういう人だからといって何も強引に襲うような人ではなかったのである。
そっちの世界にいる人というのは、今までテレビでしか見た事がなく、身近で会ったのは初めてなので驚いた。
やっぱり本当にいるものなのだと感心した。
それからもその人と職場で会っても普通に接してはいたのだが、メールは極力返さないようにして、僕をあきらめてもらおうとしていた。
そう、その人には罪はない。
ただ人と好きになる相手がちがっただけなのである。
激しく怪訝する必要はいっさいない。
よく外国にはゲイがたくさんいると聞く。
日本は少ないほうだと言うが本当にそうなのか?
僕が思うには日本の国民性がそうさせているような気がしてならないのである。
というのも日本は昔から同性愛については批判的な国であった。
しかしカナダやオーストラリアを見てみると国自体が同性愛を認めている。
さらに同性愛者の結婚が認められている国は世界で6カ国、シビルユニオン法という同性のカップルにも一般の夫婦と同等または同等に近い利益と保護を認めた法律が施行されている国が22カ国あるという中で、日本や中国はいまだに同性愛者の差別に対する法律がない。
いや、日本はまだいいほうなのかもしれない。
ゲイというだけで有罪になり死刑や終身刑を科せられる国だってある。
そんな国を調査したところで「ゲイなんです」と正直に話す人はまずいないだろう。
となると国によってゲイの人口がどれだけいるかなんてあてにならないし、人が人として生まれてきた以上、人と同じ愛し方ができない人がいてもおかしくはない。
日本のゲイ人口は決して少ない訳ではなく、ただ認めてくれる人が少ないだけに正直に話せる人がいないだけなのではないだろうか?
同性愛についてはさまざまな意見を耳にする。
「自然の摂理に反するから認めるべきではない」という人もいるが、そもそも人が子孫繁栄のために生きているなんて誰が決めたのであろうか?
自然の摂理うんぬんの前に、同性愛に悩み人にいっさい話せず、せっかく授かった命を自ら絶ってしまう人がいるという事のほうが由々しき問題ではないのか?
他人の命を大事に守ってあげられない人が、子孫繁栄や自然の摂理を語るなんて馬鹿げた話である。
人が何のために生きているのか?
そんな哲学的な事は今ここで話しても仕方がない。
人それぞれ考えは違って当たり前だし、いろんな生き方があるし、そもそもくだらない。
それよりも大事なのは、そんなそれぞれの考えをいかにわかってあげられるか、それぞれの生きる価値観をいかに理解してあげられるか、そして
自分だけではない他人が自分らしく生きるためには自分にいったい何ができるか
という事をもっとよく考えてほしいと思う今日この頃である。
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