僕がまだ小さかった頃、テレビで放映された「火垂るの墓」。
当時の僕では到底”戦争”というその事実を受け止める事はできず、何か見てはいけないものを見てしまったような感覚に陥った。
「戦争を知らない世代」として生まれてきて、平和である事が当たり前のように育ち、歴史の教科書で習った”戦争”というものは、いわば僕にとっては「遠い昔のできごと」として片づけられていたのかもしれない。
「悲しい」とかそんな感情ではなく、もっと心の奥深くに、儚さ、無力さ、不条理、といった黒よりももっともっと黒くて絶望的なものが感情を支配していくのが怖かった。
何も知らなかった子供が、そんな難しい感情を言葉よりも先に体で知ってしまったのかもしれない。
それ以来「火垂るの墓」だけは2度と見たくない映画となってしまい、テレビで何度も放送されてはいたものの、見ないようにずっと目をそむけてきた。
感情を入れないよう、少しずつでもいいから戦争の事を知ろうと、ストーリーのある映画などではなく、情報番組や文献などで、戦争という歴史を学んできた。
大人になった今、感情をある程度コントロールできるようにもなったし、どんな事実だって受け止められると考え、先日テレビを点けた。
「火垂るの墓」が始まり、テレビに映し出される悲惨で残酷な光景・・・。
何も変わっちゃいない、30年前に感じたあの感情。途中目をそむけたくなるシーンが何度もあった。
でも、目をそむけてはいけない。しっかりと受け止めなくてはならない。
そんな中、感情をコントロールする僕の中枢は制御不能となり、買ったばかりのモニタはかすんで見えて、表示不良は止まらない。
終わった後はしばらく放心状態となり、眠れなかった。
戦争という時代背景を、歴史として学ぶのではなく、70年前の事実として受け止めるには、僕にはとうてい大きすぎる課題なのかもしれない。
しかし、そういう時代背景があったからこそ、今の平和があるわけだし、たとえ戦争を知らない世代であっても、そういった事実を受け止め、考え、伝えることができる人がいるからこそ、平和は保たれていると考えると、自分だけ逃げているわけにはいかないと思った。
少しずつ現実を受け止め、これからはできることを自分なりにしていこうと思う。
国を問わず、戦闘で亡くなった方々のご冥福をお祈り申し上げます。
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