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あれは、営業の仕事をしていた頃。
毎日毎日外回りで、1日何キロも歩き回る過酷な仕事に、正直嫌気がさしていた。
その仕事はIT機器を法人に売る提案営業というもので、まずは電話でアポイントをとってから実際に訪問し、電話や通信にかかる経費をいかに削減していくかを提案しつつも、ビジネスフォンをリース契約するといったもの。
そんな中、僕は関東の営業所では1位、全国でも3位以内に入るぐらいの営業成績で有望とされていた。

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しかしその会社の営業スタイルがどうも僕には合わなかった。
「これからはアナログ回線ではなくデジタル回線が主流ですよ。今使っている電話機では対応できないんですよ。」などと言って

危機をあおって機器を売る。

そんなやり方に不信感を抱いていた。
ましてや当時はもうすでに光ファイバーが世に出回っているような時代に、今さらデジタル(ISDN)を提案するなんて馬鹿げている。

今までは営業の仕事などした事がなかったので、最初は“これが普通”なのかなと思っていたが、よくよく考えてみるとやっぱりおかしい。
僕は日々良心との葛藤と戦いながら業務をこなすようになっていた。
そんな思いが駆け巡るようになれば、営業マンとしては失格かもしれない。
もしかして営業なんて向いていないのかもしれない。

しかしそんな中、普段から僕を気にかけてくれる女性スタッフがいた。
その会社はアポイント業務専門としてアルバイトを雇っていて、5人ぐらいのスタッフが電話帳をもとにいろいろな企業に電話をかけてアポイントをとっていくのだが、その子はその中で、ちょっと健康的なイメージのある女の子。

お昼休憩の時間、みんなでご飯を食べているとたまにおかずをくれたり、営業先から事務所に電話するとわざわざその子が代わって「頑張って♪」と言ってきたり、何かあるとすぐに「かのたつさん、かのたつさん」と言ってくる。
それほどかわいいとは言えないが、そこまで気にかけてくれると僕も情が移ってしまう。
やがて社内では「二人はあやしい」と噂されるようになっていた。

ある日、僕はとある老人夫婦が経営する接骨院を訪問する事になった。
老人を相手に“デジタル”なんて小難しい言葉を使うとたいがいは納得してくれる。
なおかつ事務所に電話をかけて「リース料をもっと下げられないですか?」などと芝居をうったりして、それでも標準より高い金額でビジネスフォンとコードレスを親子電話のセットとして契約に結びつける。

しかしその子芝居が効いたのか、えらく僕に感謝している。
帰りにはおかしやジュースをたくさん頂いた。この時ばかりは僕も胸がすごく痛くなった。
契約書は手が震える老人が書いたため、ところどころ文字が不鮮明であったり、不明瞭、不明確な部分がたくさんあったため、しっかりと読み取れないような内容であった。
正直僕は与信が通らない事を願った。

それから数日後、不運にも老夫婦の接骨院は無事に与信が通り契約成立となった。
そしてその日、僕は退職を決意した。
営業終了後、所長に今までの不信感を全て話し、その仕事はその日までとなった。

退職後、仲がよかったスタッフと電話で話していると、どうやら例の女の子が僕の連絡先を知りたがっているというのを聞いた。
僕は快く「教えても大丈夫だよ」と伝えた。

数日後、その子から電話があり、「今、新しい仕事を探している。お金もないから大変」などと話していると、その子が「時間をうまく使ってもっと効率よく稼げばいいのに」と意味深な事を言ってきた。
「そういう仕事があるの?」と聞くと「そういう訳じゃないけど・・・」と少し濁された。
そりゃ効率よく稼げるのであればいいにこした事はない。
そういう仕事があるんだったら教えてほしいし、ないならわざわざそんな事言わないでほしい。

すると彼女は「紹介したい人がいるの」と言ってきた。

話の流れからいって、その人がなにかいい仕事でも紹介してくれるのかなと思った。
なんでもその人は芸能界とも交流があって、各著名人とも交流があるようなすごい人との事。
「その人が何か仕事紹介してくれるの?」と聞くと「そういう訳じゃないんだけど、会ってその人の話を聞くといろいろ勉強になるから。本当にすごい人だから。」と言ってきた。
勉強だかなんだか知らないけど、そんな人と会ってどうするんだろう。
ただ一緒に食事をするだけなのだろうか。
そして彼女は会う日にちを決めてきた。どうせヒマだし何か得るものがあるんだったらいいかと思い会う事にした。

しかしその後、新しい仕事はすぐに決まり、約束の日は夜まで仕事なので、待ち合わせには1時間ほど遅れてしまう事となる。
電話でその事を伝えると「じゃあ別の日にしよう」という事になった。
そして、もともと約束していた日は仕事が終わった後、そのまま家に帰った。
するとその子からのメールが入ってきて内容を見てみると「今、渋谷で待ってるから、仕事が終わったら来て」との事だった。
新たな恋の予感を感じつつも、僕はすぐさま渋谷へと急いだ。

その日は小雨が降っていて少し肌寒かった。
渋谷に着くと少し雨に濡れて寒そうに立って待っている彼女がいた。
寒いからどこかに入ろうと言って、近くの喫茶店でお茶をする事になった。

喫茶店の中でいろいろと話をしている中、彼女は「今、かけもちで仕事をしている」と言い出した。
聞くとその仕事を僕に紹介したかったらしく、空いた時間を使ってうまく稼げるらしい。
それなら早く言ってくれればいいのに。
どんな仕事かって聞くと詳しくは教えてくれず、あんまり人には理解してもらえない仕事だという。
「かのたつさんって偏見とかってある?」と聞いてきたので「職業はいろいろとある。自信を持ってその仕事をしているって言えるのであれば誰に何を言われようがそれでいいと思う」と答えた。
あまりにもひっぱるので「それで、具体的にどんな事をする仕事なの?」と聞くと

「ネットワークビジネス」と返ってきた。

初めて聞く言葉に僕は興味が沸いた。
ネットワークビジネスって、なにかかっこいい響きだけど、言葉からしてインターネットを使って流通を行うようなイメージがわく。
もっと詳しく聞いてみると「企業の社長さんとかと会って話をする機会もある」との事。
で、紹介したかった人というのが、その仕事に携わっているのだという。
結局は漠然としか内容を聞けなかったのだが、「今度またその人と会う機会があるからその時はどう?」と聞いてきたので「やるか、やらないかは別としてとりあえず話だけは聞いてみる」と答えた。
そしてある日の日曜日に会う事になった。

ネットワークビジネス

前日、電話で彼女が何故か「スーツで来て」と言っていたのが気になる。
仕方なくスーツを身にまとい、渋谷の待ち合わせ場所に行くと、渋谷の一角にあるビルに連れていかれた。
そのビルの中の集会場のようなところに着くと、なにやら人でごったがえしている。
彼女がいろんな人とあいさつを交わしている。う~ん、何か話が違う。
すると彼女の友達なのか僕にあいさつをしてきたので僕も同じように返す。
「詳しく内容聞いてる?どこまで話を聞いてるの?」と聞いてきたので何の事かわからず「いや、漠然と」答えた。
その後、受付のようなところでも同じような事を聞かれたので同じく「漠然とは聞いてるんですが。」と答えていた。
その後もいろいろな人に話しかけられ「どこまで聞いてるんですか?」と同じような質問を何度もされた。
いったい何なんだろう。

集会場の中に入ると、中はかなり広いスペースになっていて、そこに200人ほどの人数が集まっている。
並べられたテーブルとイスに座っていると、講義のようなものが始まった。
1部、2部、3部とあるようで、教壇の上でえらい人がマイクを持って公演をする。
内容をよく聞いてみると、アパレル業界におけるビジネスで、いかに上場していくかというような内容。
決して悪くはないような内容であった。
時折、その講師らしき人が冗談などをまじえ観客がいっせいに笑う。

しかし2部から内容は一変した。
講師のような人がホワイトボードにピラミッドのような図を書き始めた。
いかにもマルチ商法の図式である。
一人が二人、三人に紹介して、入会してもらい商品を購入する。
そしてその二人、三人がまたさらに二人、三人と人数を増やしていき、利益の何パーセントかは紹介した人がもらえるという内容である。

しかもその講師は悪びれもせず堂々と説明しているではないか。
そういう事だったのか。そんな内容の話を聞いていても仕方がない。
すぐにでも帰ろうかと思ったのだが、実際にそのマルチ商法がいかに人を洗脳させてしまうのかという事にも興味があった。
しかしどう聞いてもこれで洗脳されるような人はよっぽど欲にしか目が無いとしか思えないような内容である。
すると隣に座っている彼女もそういう人なんだろうか。
信じたくはないが受け止めないといけない事実でもある。

結局講義終了までいたのだが、何故彼女はそんな大事な部分を話さず、僕をこんな所に連れてきたのだろうか?
腹立たしくて仕方がない。終了してすぐさま僕は席を立って帰ろうとした。

すると彼女が追いかけてきた。横には誰だか知らない男性もいる。
「どうだった?」と聞いてきたので「別に、興味ないけど」と答えた。
深く話しても仕方がない。「とにかく帰る」と言ってエレベータに乗りビルを出たのだが、まだ彼女が追いかけてくる。もちろん男性も一緒である。
すると二人で「夢をもった人たちが集まっている、だから一緒にやろう」とか「仲間だと思うから言っている」などと語ってくる。

結局は自分の利益のために僕をここに連れてきたくせに何が仲間だよ。

男性は僕に「夢を追いかけるには資金が必要じゃない?その資金を稼ぐためにやっている人たちばかりだから、みんないい人ばかりだよ」と言ってきたので「そんな汚いお金で夢を実現するくらいなら俺は土方でもする」と言い返した。
すると彼女はそんな事言われるなんて心外といった感じで少し怒り出した。
確かに少し言い過ぎた。相手は完全に洗脳されている訳だし“キレイな仕事”と信じきっている。
そんな人に真っ向から言っても仕方が無い。

すると二人はどこかでお茶でも飲みながら話そうと言ってきたので仕方なく喫茶店に入った。
しかしそういう人は本当にしつこい。
結局は考え方の違いという事で和解するのかと思いきや、男性は鞄からカタログを取り出して、また説明しようとする。

しかし、そのカタログにはまたもやピラミッドの図が描いてあったので、さすがに僕は大笑いして「いかにも、ねずみ講!」と言っていると、ようやく相手は困った顔をしていた。
結局は30分ほどお茶を飲んで店を後にしたのだが、まだ二人はついてくる。
このままだときりがないと思った僕は、黙って渋谷の人ごみの中にまみれ、姿を消したのである。

今から、数十年ほど前、この手のマルチ商法が流行っていた頃があった。
よく友達や兄弟からも「友達や職場の人にしつこく勧誘された」と話は聞いていた。
当時は実家に暮らしていたのだが、地元の仲いい友達3人で「いつか自分たちも洗脳されたら、その時はお互いに殴ってでも更生させよう」と約束を交わした事がある。

でも今回、この経験を通して実感した。
洗脳されてしまう人はよっぽどお金に欲がある人なんじゃないかと。
そして自分を正当化しようと“夢”や“仲間”という言葉をあえて使ってしまうのではないかと・・・。
人をそこまで洗脳させてしまうマルチ商法の手口や口述はすごいと思うが、洗脳されてしまう人間も本質的な部分ではもともとがモラルのない人間なのだと思う。

 

※補足としてお詫び

本文中、「そんな汚いお金で夢を実現するくらいなら俺は土方でもする」という表現がありましたが、実際に土方の仕事をしている方々、失礼な表現であれば申し訳ございません。これは実際に僕が土方の仕事をさせていただいた時に“体力的にも自分には向いていない仕事”と実感したために使った言葉であります。ここに補足としてお詫びさせていただきます。

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